FC2ブログ

彼のようになりたかったのかもしれない

彼に初めて会ったのは某社の会議室。彼も私も共に二十代。とは言え、向こうは既に業界の有名人で、こちらは会社に入ったばかりの新人。当時「使って天国、作って地獄」と言われたMacintoshのプログラムに四苦八苦していた最中。そもそも何故そこに私がいたのか、もう覚えていない。当然その時は言葉を交わすこともなかったはず。彼がAppleを追われる直前だったと思う。
その後、何度か顔を合わせる機会があり、時には会話もあったが、向こうがこちらを覚えているほどの印象を残せるはずもない。

最後に話をしたのは、Cupertinoのハンバーガーショップ。たまたま彼が前に並んでいた(^^;)自己紹介をして、仕事上の関わりをちょこっと話して、そのショップのオススメを訊いて(^^;)別れた。私は米国へ移ったばかり、彼はAppleに復帰したばかりの頃。米国は好景気期に入っていたがAppleは大規模な人員整理を発表したばかりで、私のいた会社のHuman Resource(人事・採用部署)がワイパーへ自分の名刺を挟みにApple本社の駐車場へ行ったなんて話を聞いて、米国ってのはオソロシイところだ、と思ったのを覚えている。
勿論当時もコンピュータ業界では彼を知らない者はいなかったが、マスコミ(世間一般)としてはビル・ゲイツの方が断トツの第一人者で、パソコンはComputer Nerdの物から、普通の人達の物になりつつあった。もしかすると、彼はPIXARの会長として認知されていただけかもしれない。

昔から「天才」という枕詞をよく付けられる彼だけれど、紐解いていけば、決してそんなものではないことがよくわかる。
最初のパーソナルコンピュータの商品化と言われるApple IIの功績は彼のものではないし、
自分のプロジェクトが上手くいかないとみると隣のMacintoshプロジェクトを乗っ取ってしまったものだし、
iMacの登場とAppleの再生も前任者のギル・アメリオが行なった構造改革の中で育っていたものを、やはりアメリオを追い出して自分のものとしたのだし、
iPodも、主流だったシリコンプレイヤーに対してHDDを使用するなど、何をしたいのかさっぱりわからない代物。後のiTunes Music StoreをもってiPodの成功を褒める識者は多いけれど、iPodとMusic Storeの登場時期のギャップを見れば、最初から計画されたものではないことはわかるでしょう。

彼が素晴らしかったのは「過剰な自信」と「無知」と「人を惹き付ける力」。
彼が少しでも技術に明るければMacをこんな形にしようと思わなかっただろうし、人を惹き付ける力がなければ、後にソフトウェア史に名が残るような本当の天才たちを、一見不可能に思えることに駆り立てられなかったでしょう。
よく「アップル信者」と揶揄されるが、あながち不当なことでもない。ある意味まさに宗教家の顔です。
演壇と観客の関係ならば楽しいでしょう。近くにいると凄く迷惑な人です。好きかと問われれば困ります。好きでは無いが惹かれます。

彼がいなくなって、世界は少し寂しくなりました。
そんな風に私は思っています。
スポンサーサイト